他人の財布 2008 10 19
アメリカでは、サブプラム問題の余波で、
地方自治体の破産が相次いでいますが、
日本では、過去の放漫財政の余波で、
地方自治体の破産が増えてくるかもしれません。
たとえば、私の故郷の市では、
市長が「文化都市を目指す」と称して、
大きな文化ホールを建設しました。
これに対して、市民からは反対運動が起きました。
こうした運動は、市民感覚からすれば、当然だったでしょう。
市民は、「こんな田舎の市に、
クラシックコンサートを聞きにくる客はいるのか。
もし、そういう客がいたとしても、
駅から徒歩20分では、無理だ。
しかも、文化ホールは、隣の市にもある」と考えたのです。
しかし、市長は、文化ホールの建設を強行しました。
市長は、建設資金を自分の財布から出費するのではなく、
他人の財布(税金)から出費するので、
事業計画に対して、気楽だったのでしょう。
(今、文化ホールは、年中、閑古鳥が鳴き続けています)
その数年前は、各市町村に、プラネタリウム・ブームがありました。
プラネタリウムの建設ラッシュだったのです。
これには、昔、天文少年だった私は、猛反対しました。
プラネタリウムが成功するか否かは、人材の確保と育成にあるのです。
しかし、事業計画には、人材育成どころか、人材確保の話もなかったのです。
今は、ハイテクの時代ですから、
コンピューターによる自動操縦で、プラネタリウムを運営することができますが、
それでは、お客が、すぐ厭きてしまうでしょう。
プラネタリウムの成功には、熱心な解説者が、不可欠です。
文化ホールやプラネタリウムの成功には、固定客の獲得が、ぜひとも必要です。
こうした固定客の獲得には、運営者の力量が試されます。
作ったら終わりではなく、作った後の人材確保と人材育成が重要です。
しかし、事業計画には、このような視点がなく、
極めて、ずさんな事業計画だったのです。
学者は、「どうして、議会は、市長の暴走を止められなかったのか」と思うでしょう。
しかし、田舎に行けば、首長の力は強く、議会は追認機関であることが多いのです。
田舎では、市長との親密度が、重要な選挙ツールとなるのです。
市長に批判的な議員は、当選回数を重ねることは困難です。
次の疑問として、
「文化ホールやプラネタリウムは、各市にあっても無駄である。
3つか4つの市で共同して建設し、
共同運営すればよかったのではないか」という意見もあるでしょう。
しかし、この論理は、田舎では通用しません。
3つか4つの市で共同して建設したら、市長の実績(手柄)として、後世に残りません。
さらに、どこの市に建設するかで、喧嘩が始まります。
かくて、地方自治体は、破産へと向かう。
今までは、なんとか持ちこたえていましたが、
少子高齢化が、地方自治体の体力を確実に奪っているからです。
株式会社の場合は、創業者が身銭を切っているから、
会社の建物よりも、その後の事業計画を真剣に検討しますが、
市長の場合は、身銭を切ることはありませんから、
施設の建設計画には夢中になりますが(他人の財布)、
その後の事業計画には、無頓着になるでしょう。